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学校長より

校長;池田 芳子

♦それぞれの事情(10月12日)♦

「千の風になって」という歌がある。 秋川雅史というテノール歌手が昨年のNHK紅白歌合戦で歌って一般的に知られるようになり、 クラシック史上初めて100万枚を突破したミリオンヒットになったという。

決して楽しい歌ではない。

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません……

千の風になって あの大きな空を

吹きわたっています

人が亡くなったときに葬儀等の一定の手続きをするのはその人を弔うためであるというのが 常識だが、実は残された人のためのものである、ということを聞いたことがある。 一定の儀式を通して、残された者は大切な人を亡くした喪失感から立ち直っていくというのである。

そうして、大切な人を亡くした現実を受け入れた後もなお、 人は様々な形で会えなくなった故人を偲びときには悼む。

「千の風になって」はこうした人々の普遍的な心情に訴えるところのある歌であるから、 ミリオンヒットになったのであろう。

ところが、先日、この歌「千の風になって」がテレビやラジオから聞こえてくると、 胸が締め付けられるように苦しくなった人の話を新聞で読んだ。 奥さんを亡くした人と再婚した女性が、この歌を聞くと、奥さんは死んでなんかいないんだ、と。

多くの人が親しむ歌、多くの人を慰める歌、しかしそれを聞くと辛くなる人も中にはいる、 と改めて感じ、考えさせられた。

多くの生徒が楽しみにした修学旅行、多くの生徒が一生懸命に取り組み、 日常の授業では得難いものを学ぶ合唱コンクール。

多くの生徒にとっての学びの場が、実は耐え難い場になってしまう生徒がまれにいる。 新聞で紹介された女性に、この風になっているのは、別の人と思いなさい、 と周囲が言うのは簡単であるが、本人がそう思えるようにならないとどうにもならない。 こうした生徒に行事の意義を説くのは簡単であるが、本人が学び気づかないことには、 意義は生きない。

どう気づかせ、学ばせるか、これには一人一人の生徒にあったアプローチがあるはずである。

その後、高齢者施設で働くようになった女性は「千の風になって」を聞いても、 「風になったのは自分の親や施設で亡くなったお年寄り、そう思えるようになった」という。

 

生徒一人一人がその家庭環境を背負い、学校という学習環境に通ってくる。 一人一人の生徒の感じ方やとらえ方は違う。同じ家庭の状況でも、 ときには兄弟姉妹で受け取り方や感じ方が異なる。

学校についても同様である。
何かにこだわってしまうと、広くとらえたり前に進めなかったりする場合がある。 そこにどう寄り添い、こだわりを乗り越えられるようにアプローチしていくか、である。
こだわりを乗り越えることができれば、その経験は、これからの人生で生きてくるだろう。 こうしたこだわりは大小の差はあれ誰にもある。それが個性の一面でもあると思う。

♦気遣いや心遣いを(6月29日)♦

今年の本校の重点に美化がある。

校舎は古く、雨漏りや漏電のトラブルもある。

しかし、古いことは困ったことではない。  学習環境と安全に関するトラブルは当然市教委で解決する。

古くても、しっかり掃除や手入れをし、工夫をして、美しく整った校舎や環境にできるかである。

職員も生徒も心して取り組み始めたことが、学校に関わったり、 学校を訪問してくださる方に分かっていただけることは、がんばっている生徒たちのためにうれしい。
それは、たとえば先日の「心の教室だより19-2」では次のように書いてある。

「今年度に入って、校内がきれいになり、 廊下等ですれ違ったときにあいさつをしてくれる人が増えたことです。 初めは新入生歓迎のためかと思っていましたが、所々に飾られている花も生き生きとしていて、 うれしくなります。だれかがしてくれる小さなことが、 どんなに人を喜ばせることができるかということをつくづく感じます。」

毎日そこにいるとあまり感じるところがなくなる場合があるが、 週に1、2回だけということで新鮮な印象をもって感じていただけるのだと思う。

同じように、時々生徒たちの教室に行くと、整頓されていて気持ちのいい教室、 もう少し気遣いがほしいと思う教室、とよく分かる。 そして、毎日過ごす生徒はどう思っているのかと。

毎日の清掃の時間に生徒たち一人一人が当番の場所を心を込めてきれいにしているのは言うまでもない。

しかし、学校の「美化」をいろいろなかたちで支えている人がいる。
廊下や階段にタイルがなくなっているところ、割れているところがある。 学校公開の振替休の日に主事さんがタイル補修をした。仕事と言ってしまえばそうなのだが、 その数があまりにも多い。

今まで何年間か、補修されていなかったのである。割れたその都度に補修をしていれば、 そんな苦労をしなくても、と思う。

このことは、日々の清掃や環境整備に当たって、戒めとしたい。 その都度に取り組まないでおくと、たいへんなことになると。

毎朝夕、学校の開閉業務をしている松尾さんは、来客用玄関を毎朝モップがけしている 。本校の玄関は3年生と来客・職員用が同じところである。放課後の清掃が終わった後、 部活動等で生徒が出入りしてたたきのところは汚れてしまう。そこで、毎朝モップがけをして、 その日学校にみえたお客様を気持ちよく迎えられるようにしてくださっている。

また、学校の様々な場所に花を生けてくださる。廊下や昇降口、 階段にさりげなく生けられている花に心がなごむ。

こうしたモップがけや花は、仕事ではない。仕事は開閉業務なのだが、 心遣いである。そして、花が絶えないのは緑化活動の方のおかげでもある。

自分の仕事ではないから、自分の当番ではないから、という職員や生徒ではどうなるだろうか。

ちょっとした心遣いや労を惜しまない姿勢をみんなが持つ、どうなるだろうか。

♦ 子どもへの語りかけ(6月1日)♦

学校にも家庭にも生徒や子どもが守らなければならないきまりや約束事がある。 小学生のころは、「きまり」や「やくそく」というだけで守る子どもが多いが、 中学生になるとなかなかそうはいかない。

どうして守れないのか、守らないのか、さまざまな理由を子どもはあげつらう。 これも成長の証ではある。

しかし、成長したのだから、とか、反抗期だから仕方がない、 と大人がひいてしまっては子どものためにもならない。

守らなくてもよいきまりや約束事は、本来きまりや約束事ではない。 守らなければならない理由があって、きまりや約束事になっているのである。

それを、どのように子どもに伝えるかが大切なのである。
放課後の教室に生徒が自由に残ることを認めている学校はほとんどない。 週番や当番の生徒や教員が巡回して下校指導に当たる。

しかし、放課後の教室は場合によっては楽しい場所である。 友達とのおしゃべりのひとときをそこで過ごすのが至福のときである生徒もいる。

そこで、どのように語りかけ理解させて、教室でのおしゃべりをやめさせるか、である。
「きまり」だから守りなさい、という言い方がある。
これは、「きまり」「きまり」と言って、自分たちの気持ちをわかってくれない、という不満を生む。

教員が管理しきれないから、というのも一理ある。
しかし、放課後まで管理されなくてもいいよ、という生徒の心理には反発を覚える言い方となる。

では、放課後の教室に生徒が自由に残ってもいいのか。否、それはまずい。

なぜ。

生徒の立場に立ったときに、生徒の安全に関わるからである。

たとえば、不審者が侵入してきたとき、教員が知らなければ対応のしようがない。

たとえば、大地震が起きたとき、どこにだれがいるかわからなければ、 身の安全の確認のしようがない。

つまり、学校の「きまり」は生徒を守りためにあるのだ。
ここまで話せば、ほとんどの生徒は納得するはずだ。

しかし、そこまで話さなくても、そうした前提で「きまり」があるのだ。 そうしたことを言葉を換えて言えば、教員が管理しきれないから、となるのだ。

理屈を言えばそうなるが、言い方次第で生徒の気持ちに不満や反発を生むか、 納得をするか、大きく違ってくる。

言い方の工夫としっかり語りかけることを労をいとわないことが大切なのだろう。  学校でも、気をつけていきたい。

ご家庭でも、ちょっと時間をさいて、語りかけていただきたいと思います。

※ 平成19年度分はこちらです。