

サイカチの木
本校の研究へ3年に亘りご指導をいただいている都教育庁 統括指導主事 相原雄三先生からは、研究授業に臨む度に貴重な資料を頂戴してまいりました。今月は11、18日の2回を研究会に設定し、授業に挑戦をしてきました。送付いただいた資料の中に、「浅川筋のサイカチ」をインターネットから取り上げた資料が同封されていました。これは、地域学習の観点に植物も視点にとの先生のご指導です。その資料に、「その時は(設楽)杢左エ門は川(南浅川、多摩川の支流)の掘鑿(くっさく)記念としてサイカチ(の木)数百本を沿岸に植えつけた。それが、現在ではたゞ一本だけ(両界橋)北側(の右)岸に残ってゐる。(以上引用)」と記
されています。さらに、河川堤防の護岸のために、サイカチを植えるという話は他所では聞きませんが、「設楽杢左エ門氏の浅川改修」、読売新聞八王子支局「郷土を築いた人たち」(昭和27年)は、その理由をサイカチは「根がひろく強く張る」からだと説明し、浅川改修護岸のためにサイカチの木を両岸に植えたもの。その一本が生き残り、浅川の流れゆく水を200余年間見守っているとも記されています。
著者は、たまたま目にした「武蔵名勝図会」(多摩郡之部、巻八、由井領横山庄之下、上椚田村)の所説を目にし、サイカチの木に関する内容に納得したと加筆しています。永禄12年(1569)、武田信玄の武将甲州
岩盤山(大月市)の城主小山田信茂が、小仏峠を越えて北条氏照が守る滝山城に向かって押し寄せ、廿里に迎え撃ったが一戦にして破れ去り、氏照は、八王子城移転に際して、浅川付近に防衛線を設定し、八王子城を守る目的で、この川の北側にサイカチの木を植えたのか、との考えです。
私は、送付いただいた資料から、サイカチという木に興味をもちました。早速、両界橋に一本だけ残っているというサイカチを見たいと試みましたが、探すことができませんでした。地域の方に助けていただいたところ数年前に伐採したとのことで、いまは名残の切り株が残っているけれど芽が出てくる様子はないとのことでした。
送っていただいた一枚の資料は、戦国時代までロマンを運んでくれました。茨のあるサイカチの木が実戦の役に立ったかは分かりません。一本のサイカチの木が伝えてくれたものはなんでしょうか。
さらに、6月下旬に分けていただいた小仏川で舞っていたホタル。本校の理科準備室で、2匹のメスが産んだ卵から2mmほどの針の先のような幼虫へと成長をし始めています。その小さな幼虫はえさを求めて懸命に動いています。初めて見るあまりにも小さくか細い黒っぽい生き物に、自然の中で生きるたくましさを感じます。ホタルプロジェクトを立ち上げ、自然発生的に興味をもった子どもたちが集まってきています。自然界の条件を創意工夫して設定することで、このように小さくとも生きられることへの感動も受けました。子どもたちと一緒に、ホタルが生まれた小仏川に成長したホタルの幼虫を放すその日まで、浅川小で大きくなってほしいと願わずにいられません。浅川の里の川では、来夏に向け、きっと多くのホタルの幼虫が出、今もその命をはぐくんでいることでしょう。
いよいよ子どもたちは夏休みに入ります。
浅川の里には、心を揺さぶる自然や歴史がたくさんあります。一本のサイカチの木が伝えてくれるもの、舞うホタルが私たちに届けてくれるものはもとよりたくさんの出会いがここにはあります。
「自ら進んで学びやりぬく子ども ー地域とともにつくる生活科・総合的な学習の時間ー」をテーマとした本校の研究は、なぜだろう、どうしてそうなるのだろうという疑問や課題から出発し、直接的なかかわりや体験活動を通して解決へと進みます。そのような学習法を身につけることこそ、これからの社会を生きていく子どもたちに必要な力だと考えます。人が生きていく過程で、必ず出会うであろうさまざまな課題。小学校時代に小さなことのひとつでも、自らの力で課題解決ができた経験は必ずや生きるものと信じています。
(校長 岡 敬子)